1992年バルセロナオリンピックでの
とあるエピソードが話題となっています。
デレック・レッドモンド選手がレース中に倒れ、
それを助けに父親がレースに乱入。
肩を抱き、一緒にゴールをしました。
この模様は世界中の人の心をうち、
感動の声が寄せられています。
今回はこのときの状況や
デレック・レッドモンド選手について
まとめました。
レースの詳細は?
事件は1992年バルセロナオリンピックの
400m準決勝でおこります、
5コースを走っていたレドモンド選手。
150-160mの地点で右太ももに
肉離れを起こし、痛みからうずくまってしまい
更に仰向けになってしまいます。
しかしすぐに起き上がり、
彼を救護しようと寄ってきた係員を
振り切って再び走りはじめました。
イギリス代表のデレック・レッドモンド選手が
右足を引きずりながらなんとか前へ進みます。
第4コースを走っている時に、
レッドモンド選手の父親であるジム・レッドモンドが
コースに入ってきます。
初めは息子に走るのをやめさせることが
目的だったのですが、
「完走したい」という息子の言葉にこたえ、
肩を貸して一緒にゴールすることに。
結果は、レッドモンド選手はDNF途中棄権という
結果になってしまいましたが、
長年人々の記憶に残るレースとなりました。
肉離れとはどんな症状?
このデレック・レッドモンド選手の
起こした肉離れとは、
どのような状況なのでしょうか。
肉離れとは、筋肉が引き伸ばされると同時に
収縮するときに起こる筋肉の断裂のことです。部分的に断裂することが多いですが、
まれに筋肉が完全に断裂してしまうこともあります。たとえば、ダッシュをしようとするとき、
ハムストリングス(太ももの裏の筋肉)はぎゅっと収縮しますが、
ここから走り出して膝を伸ばす動きをすると、
収縮している筋肉は無理やり引っ張られる状態になります。このときに、収縮する筋力が引っ張られる
筋力に負けることで肉離れが起こります。引用:https://medicalnote.jp/contents/180305-003-UK
このレースがCMに!?
このレッドモンド選手のレースが話題になり、
なんとCMにもなりました。
VISAが制作したこのCM、
感動の場面を私達の心に
届けてくれますね。
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デリック・レッドモンドは
1992年の400メートルを、
1位で走り終えなかった。
2位でも走り終えなかった。
3位でもなく4位でもなかった。
彼と彼の父親はどんじりで走り終えた。
しかし、彼と父親は走り終えた。
この言葉の意味が、見るたびに
深く心に響いてきて、
何度見ても感動します。
走らなくても良かったのに、
最後まで走りきった親子。
二人の深い関係もそうですが、
どんな状況でも最後までやりきる
姿勢がまたすばらしいですよね!
日本選手も出場していた!
この歴史的なレースには、
なんと日本人選手も出場していました。
1コースを日本の高野進が走っていたのです。
高野選手はこのレースで4位に入り、
ギリギリ400mで日本人初のファイナリストになりました。
高野選手は前年の日本選手権で
400mで日本人初の44秒台を出していたり、
その夏の東京世界陸上でも7位に入るなど
調子を上げていました。
しかし持ちタイムではレドモンドの方が上だったこともあり、
もしレッドモンド選手の故障がなければ
高野選手は4位入賞は危なかったかもしれない、
という人もいました。
デレック・レッドモンドの現在は?
デレック・レッドモンド選手の現在は
調査しましたが特に公表されていませんでした。
1965年9月3日生まれなので、
現在は53歳になっています。
大会当初27歳だったレッドモンド選手、
もう53歳なんですね。
流石にもう陸上は引退していると
思われますが…
新しい情報が入り次第、
追記したいと思います。
まとめ
1992年のオリンピックで
デリックレッドモンド選手が
レース途中で負傷し、それでも
諦めずに父親とゴールした話を
まとめました。
父と子の深い関係や、
最後まで諦めない姿勢が
とても心に響きましたよね。
この素晴らしい姿、
これからも語り継がれていって
ほしいですね。
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