今シーズンからフェラーリに加わった
シャルル・ルクレール。
彼を語る上で外せない人物が2人います。
父であるエルヴェ・ルクレール。
親友であるジュール・ビアンキ。
今回はシャルル・ルクレールと
この2人の人物に、
どのようなエピソードがあったのかを
まとめていきたいと思います。
目次
シャルル・ルクレールのヘルメットはどんなデザイン?
シャルルのヘルメットに
必ず刻まれているフレーズが
あるのはご存知ですか?
「JB17」
このフレーズはシャルルのヘルメットに
必ず刻まれており、
もちろん今シーズンのヘルメットにも
刻まれています。
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— EUROSPORTS (@EURO_SPORTS) 2019年5月21日
シャルル・ルクレールのスペシャルヘルメットとは?
モナコ人であるシャルルは
今年のモナコグランプリで
スペシャルヘルメットを着用しました。
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— Elite Store (@jp_EliteStore) 2019年5月23日
ヘルメットの右側には
通常時とは異なる字体の「JB17」。
左側には「Herve LECLERC」の
名前が刻まれています。
この2つの文字に秘められた
ルクレールの想いに
迫っていきたいと思います、
親友ジュール・ビアンキとシャルル・ルクレールの関係は?
右側に刻まれた「JB17」の文字が示すのは
「Jules Bianchi(ジュール・ビアンキ)」の頭文字と
ビアンキがF1で現役時代につけていた
カーナンバーの17を合わせたものです。
ビアンキ家とルクレール家には
シャルルが生まれる前から親交があり、
一説にはシャルルと名付けたのは
ビアンキだったとも言われています。
シャルルとは8歳年上のビアンキは、
常にシャルルの目標だったそうです。
そしてビアンキはシャルルより一足早く
2013年にマルシャから
F1デビューを果たします。
2013年はドライバー22名中19位(0ポイント)と
悔しい結果に終わるものの、
当時のマルシャの競争力では
限界でもありました。
それでも19レースしたなかで
リアイヤは3回のみという
安定したドライビングを披露し、
2014年もマルシャのシートを確保しました。
2014年は第6戦モナコグランプリで
9位となり初入賞。
2ポイントを獲得しました。
そして迎えた第15戦日本グランプリ。
43周目、ザウバーのスーティルが
コーナーの出口でコースオフし
タイヤバリアに接触します。
これを受けてレースを
黄色旗(減速・追い越し禁止)が提示されます。
同時にスーティルのマシンの傍に
重機が寄せられマシンの撤去作業に入ります。
44周目、ビアンキのマシンはスーティルと
全く同じコーナーでコースオフ。
コントロールを失ったマシンは
みるみるうちにコースを外れ、
スーティルのマシンの撤去作業をしていた
重機の下に滑り込んでしまいます。
レースは再開されることなく終了。
この事故から救出されたビアンキは
既に意識不明の状態でした。
長い闘病を経て翌年の2015年7月17日。
ジュール・ビアンキは25年の生涯を終えました。
. @Charles_Leclerc was asked about his favorite memory of Jules Bianchi in his interview with @F1Racing_mag
Charles: Probably every Wednesday, Saturday and Sunday at Jules Bianchi’s track we used to race together. It was fun times.#F1 #CL16 #TeamLeclerc pic.twitter.com/d7ZaP1B4IG
— Charles Leclerc #16 (@LeclercNews16) 2019年1月25日
父とシャルル・ルクレールの関係は?
左側の「Herve LECLERC」の示すものは
もちろん父の名前です。
シャルルの父エルヴェは、
若いころにF3のドライバーとして
活躍していました。
引退後はシャルルのサポートのため
ほぼ全てのレースに帯同していたそうです。
そんなエルヴェは2017年6月に亡くなりました。
Thank you Herve leclerc for giving us a great pilot and human being @Charles_Leclerc 👏🙏👊🏁 …. pic.twitter.com/cm64SPKhzi
— ViviAnLoW 👑 🏁 (@ViviAnAnAyAnZi) 2017年6月21日
2015年にビアンキ、2017年にエルヴェと
シャルルは2人の人物を
2年間のうちに失ってしまったのです。
辛い過去を糧に努力するシャルル・ルクレール
ビアンキの事故のエピソードには
まだ続きがあります。
94年に起きたアイルトン・セナと
ローランド・ラッツェンバーガーの死亡事故以来、
F1は安全面の強化に力を入れて
ルールを徹底的に作り直しました。
そしてその後21年間、
死亡事故はなくなりました。
その頃はもうF1で人が死ぬことは
無くなったとまで言われたほどでした。
しかし、ビアンキの事故は起きたのです。
ここからF1は更なる安全強化へ取り組みます。
2018年、シャルルがデビューした年から
マシンのコックピットに頭部保護デバイス
「Halo(ヘイロー)」と呼ばれる器具が
取り付けられました。
当時、ヘイローの取り付けは
ドライバーの視界を遮ってしまう点から
関係者は否定的な意見が大多数でした。
しかし第13戦ベルギーグランプリで
その意見は一掃されます。
スタート直後、第1コーナーに差し掛かった
ルクレールのマシンの頭上を
後方でクラッシュしたマシンが通過。
ルクレールのマシンのヘイローに
直撃したのです…
事故調査委員は後に、
「ヘイローが無ければクラッシュした
マシンのウイングがルクレールのヘルメットに
直撃していただろう」
という調査結果を発表するのです。
これによってヘイロー問題は収束。
2015年、ビアンキの事故によって
取り付けられたヘイローが、
奇しくも2018年にデビューした
シャルルの命を救うことになりました。
その2018年にシャルルは大活躍し、
トップチームであるフェラーリへの
移籍を勝ち取りました。
今もシャルル・ルクレールは「エルヴェ・ルクレール」「ジュール・ビアンキ」と共に走り続けています。
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